古の伝統を今に伝える 島津貴久公奉納 鹿児島神宮所用 上野国立博物館蔵 重要文化財 写し 【兜】 ●鉢 黒茶塗り参拾間阿古蛇成兜 ●シコロ 黒塗り本小札色々威し三段笠シコロ 吹返しに絵革に唐獅子柄 (国内本鹿革) ●面頬 黒塗り本小札色々威し三段顎垂れ 【鎧】 ●胴 黒塗り本小札色々威し胴丸鎧 ●袖 黒塗り本小札色々威し七段大袖 (冠板含む) ●草摺 黒塗り本小札色々威し威し八間五段 ●喉輪 黒塗り本小札色々威し喉輪 【小具足】 ●篭手 黒塗り三枚筒篭手 ●臑 黒塗り五枚臑 ●佩楯 黒塗り本小札色々威し佩楯 【飾った時のサイズ】 ●高さ 約175cm ●横巾 約100cm ●奥行 約75cm 【収納時のサイズ】 ●高さ 約57cm ●横巾 約69cm ●奥行 約54cm 伝統工芸指定 五月人形 鎧飾 侍´s ARMOR & ARMS MARUTAKE Co LTD 鎧飾り 鎧平飾り サイズオーバーによりヤマト運輸発送不可【奉納鎧】とは? 奉納鎧は武将が戦でまとう為に製作した甲冑と異なり(作りは本物同様)、 神々への祈願を込め又神々がまとう甲冑として、神仏に奉納する甲冑で、 製作に関しては、技法、装飾など全てにおいて、当時の大名などが 着用する甲冑又はそれ以上の作りの最高の甲冑を奉納していた。
奉納飾り 正面 ■室町 桃山期の守護大名の伝統を守る本格甲冑 平安の頃より武士の甲冑はその位によりわけられていたが、 室町期になると乗馬戦 歩行戦ともに有利に戦える 胴丸/腹巻鎧が大将鎧として定着した。
本甲冑は、当時、守護大名がまとう典型的な胴丸鎧で、兜も阿古陀兜 と伝統の正統派の鎧である。
なお、本甲冑製作に関しては、鹿児島神宮 御神体 彦火火出見(ヒコホホデミ)尊 (山幸彦)へ、誓いをたて製作させて頂いております。
一式飾り 【島津貴久】 1514-1571 戦国期、島津中興の祖、伊作島津家の忠良(日新)の子嫡男であったが嫡流の養子として迎えられた、以降、貴久は、薩摩/大隈/日向の三州統一に尽力し、貴久の子、島津4兄弟(義久 義弘 歳久 家久)は、他の戦国大名に類を見ないほど、兄弟力を合わせ、九州制覇を目前にするも、秀吉の九州征伐の前に和睦をし、又天下分け目の関ケ原でも西軍につくも、薩摩/大隈を守り抜いた。
島津貴久は特に鹿児島神宮を薩摩/大隈/日向の重要拠点とし、甲冑/武具の奉納をはじめ、隼人、初午祭の起源となる祭りを催すなど、鹿児島神宮と親密な関係を築いたと伝わる。
奉納飾り 斜め 鹿児島神宮さまに御依頼を受け、地元にの残る、同様の甲冑を採寸、調査 し、製作させて頂きました。
鹿児島神宮さまが奉納され胴丸と同様の製作致します。
写真 左は鹿児島神宮宮司様と当社社長 島津貴久奉納 鹿児島神宮所蔵 重要文化財 色々威し腹巻 は現在 国立博物館で管理されております。
等身大着用サイズ