★
フランス国立セーブル製陶所工房作品詳細★
ブランド(原産国) 【セーブル・SEVRES】フランス 作品名(パターン) LA NYMPHE FALCONET(ファルコネの水の精) 原作制作年度 1761年 Etienne-Maurice FALCONET(エティエンヌ-モーリス ファルコネ) 人形制作年度 1999年 Philippe RICHARD(フィリップ リチャード) 台座制作年度 装飾完成:2000年 Gilles BOUTTAZ(ジル ブッタ) 素材焼成:1994年 作品サイズ 高さ:24.5cm(台座を含む高:33cm),台座の直径:16cm,高さ:8.5cm 特記事項 画像と実際の作品の色合い及び風合いは微妙に異なります。
参考上代(定価) オープンプライス 作品説明 クリエーター:Philippe RICHARD(フィリップ リチャード) セーブル工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。
クリエーター:Gilles BOUTTAZ(ジル ブッタ) セーブル工房で創作活動をする装飾作家、画家、陶芸家。
ビスケット・白磁人形 【この作品は十八世紀の技法による軟質磁器 PT(ソフトペースト)によって制作されている。
】作品にはセーブル工房のロゴと成型年度が刻印され、作家のサインが彫り込まれている。
------------------------------------------------------------------------ この作品はプシュケ(愛の神、エロスより愛された美少女)又、愛の弓に隠れる少女ともよばれている。
1761年のサロンでの案内状に掲載されたにもかかわらず、この小像の原型をFALCONETは大理石で作らなかった。
このサロンの関係者であったGABRIEL DE SAINT AUBINによって制作されたスケッチ画の中にも描かれなかった。
いたずらっ子で冗談好きな18世紀の子供達の好みであった愛の強要、各人の感性の独立性や憐憫の情などの子供の感受性をテーマにすることをセーブル工房は制作に受け入れた。
同様に、素焼磁器部門は「PAS DE QUARTIER」と言う作品を創った。
子供、又は「水の精少女」と「愛の強要」の対はFALCONETの大理石素材の代表作品であり彼の名声を高めた。
他の彫刻家達はこのような其の当時の好みを受け入れようとはしなかった。
EMILE BOURGEOISは、以下のように好評している。
「髪を後ろで束ね、挑戦的に微笑んでいる少女で表現された女性と子供の間の不確実性はもっとも優美なイメージの一つである。
この作品の素晴らしさは 更に、思春期と女性になる期待感の間にある淡い不安も深部まで感じられる」 以上の説明文は、1757-1766年に出版された「IN FALCONET A SERVRES OU L’ART DE PLAIRE」の文章より引用。
(2001年にRMN社より165ページで再版)2001年11月6日より2002年2月4日までセーブル国立陶磁器博物館にて展覧会を開催。
* この作品のオリジナル(台座なし)の内の一体が帝政ロシアの最盛期に君臨した女帝エカテリーナ2世のコレクションとしてサンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館に収蔵されている。
* 台座の装飾は国立セーブル工房がモナコ公国王の為に納めたテーブルサービスと同じ装飾である。
------------------------------------------------------------------------ セーブル工房の「ビスケット」という呼び方は、1751年以来の模様も釉薬もないセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。
この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられた。
------------------------------------------------------------------------ ☆
Pate tendre(ou P.T)☆
ソフトペースト(軟質磁器P.T):セラミック素材の呼称であり、半透明でカオリンの発見以前のヨーロッパにおいて開発された、硬質磁器のベースとなる素材。
今日、PTは18世紀の素材のバリエーションのひとつであり、1980年にセーブル工房で再開発され、1260℃で焼かれたものが作られた。
「ソフトペースト(軟質磁器)のパテは20ほどの要素から構成されている、まずフリットと本体である。
初めのものは鉱物(岩の)の結晶、ガベルの塩、岩石の明礬、アリカントのソーダ、モンマルトルの採石場の高熱で焼かれた石膏、そしてフォンテーヌブローの砂で構成されている。
全ての素材は焼いてから使用される」 (セーブル陶磁器博物館におけるファルコネ展の図録より抜粋) ★
Etienne-Maurice FALCONET(エティエンヌ モーリス ファルコネ)★
(1716年12月1日に生れ、 1791年1月24日にパリにて歿) 職人の家系に生れ、彫刻は伯父の大理石、石工師のNicolas GUILLAUMEに学んだ。
その後1730年頃から木や粘土の彫刻を始め 1734年に Jean-Baptiste II LEMOYNE (1704-1778) のアトリエに入る。
同氏はAnne Suzanne MOULINと1739年に結婚し4人の子供を持った。
その子供の一人が将来、図案家、彫刻家、画家になる Pierre-Étienneである。
1745年Étienne-Maurice F ALCONETは芸術大学に入学が許可される。
1754年Milon de Crotone賞を授与される。
その賞品は現在ルーブル美術館に保管されている。
その翌年、同芸術大学の助教授になり1761年に教授、1783年に副学長となる。
1757年、王立セーブル工房の彫刻部門責任者に任命される。
FALCONET は週のうち一日をセーブル工房で仕事をした。
磁器作品の前段素焼きの原型作りである。
多くの作品はFrançois BOUCHERの図案構図や絵画からの啓示を受けている。
ポンパドール夫人所有のCrécy 城の別邸に置かれた数々の作品もこのBOUCHERの絵画の影響が多く見られる。
その後、次第にFALCONETの制作テーマは二つの流れに絞られて来た。
一つは「子供」をテーマにした彫像でありもう一つは「 Fontaine寓話」である。
只ここでもFrançois BOUCHERの芸術的相続人であることに変わりはなかった。
小彫像の作品群は「動き」に重点をおいてセーブル工房で磁器素材で制作された。
lこの作風は1764年から1766年にかけて広く欧州全体へ波及した。
並行して Étienne-Maurice FALCONETはセーブル工房にて大理石塑像に似た彫像を創り 1754-1765年の間定期的に作品の発表を展覧会で行った。
(作品名:L’Amour menaçant et La Baigneuse1757年作, Pygmalion et Galatée1761 年作)又パリの教会の礼拝堂の装飾も制作し、その後Marduel修道院のイコン制作などへの助言もした。
複数の大理石像についての図形教本などの制作もおこなっておりその内容は現在においてもなんら古臭いものではない。
フランスに戻った後 1783 年に病に陥り彫像についての論文整理に専念する。
又、古来の芸術文献を学び芸術大学の良き助言者としてあり続けた。
FALCONETには変わらぬ後援者と友がいる。
彫像の良き理解者であるポンパドール夫人1752年にLa Musique、花と果樹の女神の彫像をCrecy城に制作し、 1757年L’Amour像をパリの別邸に制作した。
この建物は現在は大統領官邸となっている。
FALCONETの友人である Denis DIDEROTの伝評作家でもあるが《ここに一人の人間がいる。
比較のしようのない万物起源の質のわかる者。
彼は土を練る》 lDIDEROTは1759年、百科全書の彫刻に対する技術、哲学の深遠な説明を生みいつまでも変わらぬ友情は終わることが無かった。
他にもDimitri Alexievitch GALITZINE王子(ロシア皇帝Catherine 2世の在フランス大使も1765 –1767年に努める)FALCONETのロシア滞在中の住居も提供した。
1773年には DIDEROTと3人の面談もロシアで成った。
Etienne-Maurice FALCONETは数多くの素焼き塑像も制作した。
注文はフランス王の建物のための作品もあるが、特筆すべき新しい装飾は 1753年パリの Saint-Roch 教会、 Marduel修道院の作品である。
【フランス国立セーブル製陶所工房作品】